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2020年7月13日 (月)

NOシュヨウ日記 第1回

人生には結婚とか就職とか大きなイベントがありますが、
死ぬのは最後の一大イベント。
春先に母親が倒れて、なんとなくぼんやりと先に見えていた
死ぬ、ということが目の前に現れました。

一生に2回しかない親の旅たちですので、ここはしっかり
記録に残しておこうかな、ということで
本来のブログのテーマとは外れますが、シリーズ連載で
お送りします。
題して「NOシュヨウ日記」。


某日
大阪の母からの電話

「お母さんな、ちょっと頭がふらついてて、足ももつれるし
入院せなあかんようになったんや。心配させたらあかんから
電話せんとこかな、思ったんやけど、一応言っとくわ」
という内容だった。
母は80半ばだが、その割にはよく喋り、活動的な人なので
突然入院かね、という思いだった。

後日、どうも脳内で出血だか、水がたまっているだからしい
というのがわかった。

5月上旬

MRI検査で病気の原因が分かった。
どうやら脳腫瘍らしいと、大阪在住の兄から連絡があった。

5月16日
手術

手術ということになった。これは脳内にたまった血だか水だかを
抜いたうえで、どういう腫瘍なのかを調べる手術らしい。
命に関わる手術ではないとのことだったので、兄と叔母に
任せて私は行かなかった。
後でそれが失敗だったとわかった。
この手術の前後で、母はほぼ別人のようになってしまったからだ。

兄からの電話で、医者からの説明を聞いた。
脳腫瘍の中でも悪性の膠芽腫(こうがしゅ)というもので
取り出すのは不可能、余命は1年程度、とのことだった。
電話の兄の声は震えていた。

兄によれば(私の知っている)母の最後の言葉は
「今まで人のために頑張って生きてきたのに、なんでこんな
病気にならなあかんのやろ」だった。

確かに私が小学生の頃から、フルタイムの共働きで
私は当時の言葉で言えば「鍵っ子」だった。
母は仕事帰りに市場に寄って買い物をし、
夕食の支度をし、終われば後片付けをし、翌朝は洗濯をし
父の弁当を作り、仕事に出かけるという毎日だった。

老後は父の趣味だった詩吟を自分も遅れて始め、
師範だか何だかにまでなり、詩吟の大会があると
審査員やらなにやらで、運営側の仕事もこなしていた。
80過ぎても「忙しい、忙しい」と言っていた。
私はそれはそれで忙しさを楽しんでいるのだと解釈していた。

人のために頑張ってきた、という母の言葉には
「もう少し、自分へのご褒美があってもよかったんじゃないか。
人の世話ばかりしてきた人生だったな」
という意味があったのかもしれない。
親孝行が足りなかったというわけだ。

つづく

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